最近のブーム
土井善晴せんせいのポッドキャストを聴くこと🎧
“料理を哲学する”
料理のことを話しているのに、ポールダンスにめちゃくちゃ通ずるところがあり
わたしにとってはおもしろいお話なのです。
今年岡山のブックカフェで夢中になって読んだこの本もよかった
お味噌汁をつくれるようになること=自立なんだと
この本を読んで、しばらく朝は味噌汁と土鍋ごはんをせっせとつくった。
(今はサボってる)
地元つながりで、船越康弘さんを先日知った。
料理は、生きることへの前向きな希望なんだと思った。
明日生きているということを信じてる。それが料理。
だから、今日の夜に明日のためのごはんを研いでおくことができる。
明日、自分の人生は続いてる、と信じているから。
マグロ三切れで人間は20分生き延びることができる。でもそのマグロ三切れのために、実はものすごい時間のストーリーと何十億もの生物が自分の命を差し出している。
今日買ったきゅうりには、”今”しかない。
私の人生でこの一本のきゅうりさんには、もういまこの瞬間にしか出会えない。
食べたら終わり。
なんて愛なんだ。
自分の命を喜んで差し出す。
そうやって私は生きさせていただいている。
そんなことを考えていました。
今日はおじいちゃんの命日です。
もうなくなって10年以上経ちます。
なのに、おじいちゃんが残してくれたらっきょや梅干しがまだ残っています。
らっきょは、3%の塩で3年待たないと出来ないそうです。
おじいちゃんは、自分が亡くなった後にも、家族の続いていく毎日を支えてくれるための食を、十年後単位で残してくれていました。
それを2024年のわたしは生きて、食べています。
今食べてるこのらっきょにおじいちゃんが生きている、と思います。
時を超えて、自分がいなくなった後の家族が生きていく毎日を思って
せっせと手づくりで残してくれた
ものすごいプレゼントだなと思いました。
おじいちゃんご馳走様です。
わたしはおかげさまで今日も元気に好きなことをして生きていますよ