展示をしたときに
“ERIKAさんの行動の理由 目的がわからない”
と感想を言われた。
展示ではわたしはわたしなりのパフォーマンスをしていた。
(ポールダンスとか、空中ブランコとかわかりやすい何かのジャンルではない。)
その時に一緒に舞台に立っていた ”相方の行動には理由がはっきり見える
しかし、わたしの行動には理由がなくわからない”と
言われたのですよ。
いや、全くもって感想というのは個人の自由。
観てなにを思うのかも個人の自由。
その感想に不満や怒りを感じた、というのではなく
わからないと言われたことに、わたしは悩んだのです。
そのあとパフォーマンスをするときには、
“明確な目的を持ってすべての動きをする” っていうことについて考えちゃったり、、、
たとえば、お笑い芸人なら、”お客さんを笑わせる”が明確な目的なのかな
ポールダンサーでもバーレスクパフォーマーでも、
“とにかくお客さんに楽しんでもらう!””お客さんの満足度第一!”とか?
この演目はとにかく、カッコよく!驚かせる!!とか?
だれよりも自分が一番目立ってやる!とか?
そういうことなの?
え ちがうかな!?
あ それは”お客さんありき”の場合か
自分が主体じゃなく、”お客さんのための”表現?
たしかに、その時の舞台で
わたしはお客さんを敢えて意識しないようにしていた
普段、ポールダンスショーをするときは ほとんどの場合
“お客さんに向けて”表現をする
お客さんに伝わる方法も
もちろんわかっている
でも、その時は敢えて
周りに見られている(お客さんがいる)っていうのを前提に
動くっていうことをしなかったのだ。
(その作品が、そういうコンセプトを含んでいたから)
それから
答えは出ないまま
わからないと言われた自分自身のことがわたしにもわからへん
な日々
何年か経って、今そのことを想ふ。
相方の行動は作業であった
私の行動はただ私だった
誰かの振付がついているわけでも無く
自分の中から出てきた動き
何十回もその演目を日々繰り返したが、
毎回少しずつ違う私
いるだけで、私
私が存在していることに、意味もない
理由なんてない
ただ いちゃいけないですか
その一挙手一投足に
理由が必要
説明が必要
鑑賞者にはやさしく丁寧にわかりやすく
評価を得るためには、ハッキリした理由を
いつでも弁明できるように
☔️
今朝、なにかをするのに「理由はいらないんだよ」って言ってもらえて
すごくストレスが無くなったのです。
癒されました。
ありがとう。
そのままで存在していていい
すべてのやることにひとつひとつ明確な理由も無くていい
好きなことに理由がなくていい
ホッ
いや、その感想を言ってくださった方も
そんなこと百も承知であろう
そして 全ての動きに理由や目的があって
1ミリの無駄のない動きというのは もちろん感動する
自分でもそういう演目を今までやってきた(完璧にできる出来ないは別として)
しかし、ノドに小骨が引っかかったまま
その感想はわたしの中で疑問に残っていたのであった
ただそれだけ
もしかして、金銭が発生したら(お客さんがお金を払って観る)
ちゃんとした理由とかが必要なの?(たとえば金額に見合う満足度とか?)
じゃぁ 純粋な表現ってなあに?
こどもが自由に
その子の感性で
なんのジャンルでもない踊りを踊る
それを観た時に
救われた気持ちになって
とても良いなぁと感動するこの気持ちはなあに?
表現ってなあに????????????
だれのために
なんの満足のために
表現をしているの?
表現に対する迷宮ジャーニーはまだまだ続いていくのであった
??????????????
載せた映像は、近代美術館ピピロッティの展示より
非常に癒される空間でした
すべてが動いていて色彩目眩く
居るだけで嫌なこと忘れられた
良い時間を過ごせた