踊る人

今年は、自分というものを社会的な職業として見ることができた年だった。

 

今まで自分はフリーターなのか、アルバイトなのか、扶養なのか、プロのダンサーなのか、スポーツ選手なのか、教室を運営する自営業なのか

そんなこと興味もなく、生きてきた。

 

 

 

しかし、わたしはプロの踊る人だと近頃感じるようになりました。

 

 

頑なに、プロとはなんなのか自分の中で釈然とせず、

お金もらうからプロなのか?とか

お金もらってなくても真摯な気持ちでめっちゃくちゃ素晴らしい踊りをする人もいるのに

 

プロだから偉いんか?

踊る以外の収入源や仕事持ってたら、プロ失格なんか?

バカにされるのはなんでなん?

 

 

って思っていた。

 

 

 

ポールをし続けて10数年目

プロとしての自覚が強烈に自分の中に芽生えていることを知った。

 

 

わたしの中でのプロの定義は、

「そのショーに命をかけてやっているか」

 

だった。

 

 

ダンス生命

自分の人生

文字通り身体の命

 

全身全霊で、その仕事に打ち込んでいるか

 

だから、一緒に仕事をするひとの覚悟や気持ちが中途半端な場合

すぐわかる

そして、すごくやる気がなくなって悲しくなる。

 

 

職業柄、よく見下されたり軽く見られたりする。

 

でも、わたしはプロとして自分の命をかけて仕事に挑んでいる。

 

その舞台でたとえ高いところから落ちて死んでも最終良いと思っている。

それくらいの覚悟でやっています。

(もちろん絶対にそんなことにならないように最大限の対策をした上で。それも仕事のひとつです。たとえです。)

 

一緒に仕事ができるひとは、同じようにアツイ気持ちを胸に秘めて仕事に向き合っている方です。

技術の上手い下手は実はどうでも良いです。

そんなことより、ハートです。

 

相手への、仕事への、自分へのリスペクトがあるひとです。

 

 

あぁ こんなに私は自分の仕事に置いてこだわりというか信念があったんだなぁと今更気づいた次第です。

 

 

昔、ポールの先輩が「踊れるのは今日が最後だと思って踊っている」と仰った言葉が忘れられないんです。

 

真剣に踊りをしている人は、こころを打つ踊りをしている人は、きっと多かれ少なかれ心にあついものを秘めて踊っているのではないかと思います。

 

 

その熱量には、そのひとの人生と文字通り生命がかかっています。

 

 

ただやみくもにギャラが欲しいんじゃなくて

その生命がかかっている熱量の仕事に対して、もしタダでやってもらったら、依頼した人になにかバチのようなものが当たるのではないだろうか

 

地球の法則から考えても、

真剣な踊る人のそのあつすぎる想いの仕事は、

軽い気持ちで依頼してタダでやってもらった依頼人を押しつぶしてしまう気がするのです。

 

その人がその後あんまり良い人生にならない気がするというか。

 

 

踊りは祈りでもあり、呪いにもなりますからね。

 

 

だから、熱量に見合ったギャラをお賽銭というか払った方が流れがスムーズで、悪いものも滞らないと思います。

 

 

 

ま わたしの狂った頭の中のことです。

 

冗談半分で聞いてください。

 

 

もちろん、自分がこれは別にギャラ要らないって思う仕事もあります。

気持ちの問題です。

頭じゃなくて損得じゃなくて、ハートが動いたら別にギャラなんていらなくて、気持ちよくスムーズに仕事できます。

しかも楽しく。

 

 

 

 

そして、わたしは真剣に誠実に思いっきり良い仕事がしたいです。

わたしを観に来てくれるお客様、お金を払って観てくれるお客様のことを死ぬほど大切に思っています。